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大向小学校

小学校の頃は大山町に住み、大向小学校に通った。 通学区域内には高級住宅街の松濤や、 花柳街の円山町、商店街の大向通りと、いろいろな環境から通学生がいた。

皇太子妃殿下の母上も極く短期間同級生だった ( 確か、4年生から5年生に進級するとき転校して行った)。 学習院を卒業して芸者になったという変わり者の同級生もいた。

「ズバリ」言うので有名な女性占い師は、 平成18年5月27日に読んだ週刊誌によると昭和13年4月4日に円山町で生まれたそうだ。 そうすると、大向小に通ったと思われ私より1級下ではあるまいか。

大向小の同級生の大半は、当時新設の松濤中学に進学した。

大向小移転

私が大向小を卒業したのは昭和25年である。その後頃の後者は大向通りにあった。 その後、小学校は敷地を東急百貨店本店に譲り渡して移転した。 移転した話は聞いていたが、訪れたことはなかった。 昭和50年頃だと思うが、大向小百周年記念式典があり、出かけて行ったら新校舎だった。

百周年記念式典では、小説家の大岡昇平も大向小の出身であるという話があった。 別のところで読んだが、誰か偉い官僚がやはり大向小の出身で、 忠犬ハチ公が主人を待って渋谷駅に座っているのを見た、とあった。

校歌は「代々木の宮にほど近く」というらしいが、歌った記憶はない。 学校の健康診断で代々木八幡の近くの病院まで歩いてレントゲンを撮りに行ったことがあり、 確かに代々木八幡には近い。

大向小消滅

歴史のある大向小だが、都心部過疎化の波に呑まれ、 平成9年に渋谷小、大和田小と合併して神南小になったそうだ。 新設神南小の校舎は一番立派な大向小のものを使うが、 名称は争いを避けて3校のどれとも違うものにしたそうだ。

小学校か小學校か

平成16年、東急百貨店本店に隣接するオーチャードホールに行く機会があった。 東急百貨店かオーチャードホールかはっきりしないが 「渋谷區立大向小学校跡地」という銘板があった。 「区」ではなく「區」であることは確かだが「渋」と「学」が旧字体だったどうか記憶にない。

そういえば、卒業当時は、大向小學校か大向小学校かどちらだったのだろう。 小学校の卒業証書が残っているかどうか不明だが、探して確認してみよう。

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First Written June 2, 2004
Last Update May 27, 2006

© Yasuaki Nakano 2004-2006