名に入る「明」

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中野一族は、佐賀藩での初代の清明以来名に「明」を付けるものが多い。 清明以前の鎌倉時代に遡っても「明」が多く付いている。 フルベッキと中野健明 のページで述べた中野健明も一族で「明」が付いている。 もっとも葉隠に登場する中野數馬など、 「明」のない代も多い。

健明の関連で言及した祖父禮四郎は中野本家の長男であるが、 「明」が付いていないのは幼名だからである。 明治維新以前は、子供の頃は幼名を使用し元服してから本名を付けた。

日常生活では本名の他に通称を付けてこれを使用する。 中野數馬の「數馬」も通称である。本名は他人が知らないことも多い。 西郷隆盛の本名は「隆永」であるが、 役所が公式書類に本名を書き込むとき隆盛に連絡が取れず、 友人に尋ねたところ通称「吉之助」を使っていたため本名が不明で、 友人が誤って思い出した隆永の父の隆盛になったそうである。
(私はこのことをトリビアの泉で知った。 この番組で採用されるトリビアは玉石混交である。これは私にとっては「玉」。)

禮四郎は幼名であり、本来は元服名を本名にする筈であるが、 明治以降は 改名が容易ではなくなったので、 元服名を付ける機会を逸し、幼名がそのまま残った。 健明は明治維新前に成人したので、元服名が付いている。

長男なのに「四郎」であるのは誕生のときに庭に「霊芝 (れいし)」が自生し、 縁起がいいのでこれを取ったそうである。
誕生日も旧暦の5月5日で非常に縁起が良かったが、 太陽暦に変更され 何の変哲もない日になってしまった。

ついでに、父の名にも「明」が入っていないが、次男だからである。 祖父は改名が難しいことを知って長男には「明」を付けたが、 夭折することには思いが及ばなかったのだろう。

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First Written May 7, 2004
Last Update August 11, 2006