株式会社日立製作所中央研究所
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中央研究所

東京都国分寺市所在。エレクトロニクス、情報を中心に高度な研究をしている。

構内には武蔵野の雑木林や植木が沢山残っていて一見の価値がある。 野川の水源の一つもここの構内にある。

名刺は5種類

中央研究所在籍の26年で名刺は以下の5種類。異動の少さがわかる。 異動しない理由が、有能なためか、他所で使えないためか、は想像に任せる。

 第五部      中野康明
 第五部  研究員    中野康明
 第六部  研究員    中野康明
 第六部  研究員  工学博士  中野康明
 第六部  主任研究員  工学博士  中野康明

厳密には三つ目 (第六部研究員) のときから和英両面にしたので、もう一種類増える。

研究ユニット

部の下に課 (研究室) があるだろう、と言われるかも知れないが、 入社して2年で研究室制度が廃止になった。 実際には課レベルの管理単位がないと不便だから、 課と係の中間的な管理単位として研究ユニットという所内職制ができた。 しかし、所内職制だから本社に報告する必要はなく、 所長が思い立てば自由に改廃できるというものだった。

ただし、研究担当専務は各研究所にユニットが何個あるかを把握していて、 ユニットリーダーの人事権は専務にあったらしい。

最初は全ての研究所でユニット制が採用されたが、 いくつかの研究所ではしっくり来ないのか、研究室が名称として復活した。 ただし、昔の研究室とは違って所内職制である。

恋ヶ窪

中央研究所の所在地は「恋ヶ窪」である。昔読んだ地名の由来では、 鎌倉時代の武士畠山重忠が鎌倉街道を通って、この地の遊女に通ったからだとあった。 この遊女が畠山重忠の死を嘆いて自殺したのではなかったかしら。

別の説では「鯉ヶ窪」で鯉が沢山取れたからだという。 そう言えば中央研究所の池には鯉が沢山いるけど、これは関係ない。

別の地名の由来では「国府 (コフ)」から来たというのだが。

最近 (平成18年7月)、奈良市に「恋の窪」という地名があるという話を知った。 「恋ヶ窪」に良く似ていて興味深い。 しかし、こちらは「肥え」から来ているという説があり、「恋」とは関係ないらしい。

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First Written Before January 10, 1995
Last Updated August 11, 2006

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