東京大空襲

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東京大空襲

3月大空襲

5月大空襲

このページを読んで戴いた佐野さんは、 東京大空襲を中学校1年のときに体験されたそうである。 佐野さんによれば、3月9日の後、4月13日、5月23日、5月25日と東京に空襲があった。

前の版で、私の家が燃えたのは海軍記念日の5月27日だと書いたが、違っているらしい。

爆弾は2発

週刊誌で椎名誠さんが書いておられたが、 東京大空襲で米軍が落とした爆弾は2発だったそうだ。

残りは何発か知らないが全部焼夷弾。紙と木でできた東京下町の家屋を焼くのに、 高価な爆弾は不要で焼夷弾で十分とのことだったらしい。

最初の東京爆撃と空母シャングリラ

東京が最初にアメリカ軍の空爆を受けたのは昭和17(1942)年である。 ドゥリットル中佐他の操縦する爆撃機隊が空母ホーネットから発進して東京他を爆撃した。 その一機が落とした焼夷弾が早稻田中學校庭に落ち、 生徒一人が死亡した。

ルーズベルト大統領は、爆撃機がどこから出撃したかを新聞記者に尋ねられて 「シャングリラからさ」と答えたそうだ。 シャングリラはヒルトンの小説「失はれた地平線」に出て来る架空上の国で、 チベット奥地という設定だった。 その後、本当に空母「シャングリラ」が建造されたそうだ。

60年後

平成16(2004)年3月10日に出張で東京に行き山手線で座っていたら、 隣席の乗客が「60年前はこの辺は何もありませんでした」と話しかけて来た。 そう言えば東京大空襲の次の日だと気付いた。

「兵役から帰って来たら焼け野原で驚きました」と言われたので、 「私も赤い空を見ていました」と言ったのだけれど、 まさかもう一人生き残りが隣に座っているとは思わなかったのだろう、 御自分の話だけされて次駅で降りて行った。

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First Written Before January 10, 1995
Last Updated August 8, 2006

© Yasuaki Nakano 1995-2006