←[中野の計算機]
←[中野の目次]
[情報科学部の目次]
使用した計算機
以下の年代は私が触った時期であって、
その計算機がその年次に出現したのではない。
-
非プログラム内蔵計算機
- 算盤:
いつ頃触ったか覚えていない
- 1948: 計算尺: 小学校5年頃逸見(ヘンミ)製をいじっていた
- 1959: 手回し式のタイガー
- タイガーは、計算機アーキテクチャの原理を教えるのに最高の教材であろう。
残念ながら、今では手に入らない
- ここに来て、向かいにあるA教授の部屋にあることを発見。いいなあ
- 1959: 割算自動化計算機
- 電気試験所(現電総研)で見た。
- 把手を回すだけで(シフト操作なしで)割算するのには驚愕。
と言っても、どこに驚いたかは理解しては貰えないだろうな
- 1959: 電動式計算機
- モンロー、ファシット他
- タイガーの手で回す部分や、桁シフトする部分をモーターで動かすもの
- 0で割算させると、見ていて可哀相だった。これをやって壊した学生もいる
(私ではない)
- 1959: カシオのリレー式計算機
- モンローの演算をリレー回路で置き換えたもの
モーターなしで計算機ができるとは、これも驚愕ものだった
- 1970?: 日立の卓電
- シャープの電卓に僅かに遅れ、日立も開発。卓電と呼んでいた。
卓上電子計算機室!に2台備えてあって、そこに行って使った
-
アナログ電子計算機
- 1960: 電子計算機と呼ぶには抵抗がある。詳細は省略
-
プログラム内蔵計算機(第1世代)
- 1959: TAC
- 真空管式
- 日本初になる筈だったが富士写真フイルム(富士通の誤りではない)
の FUJIC に先を越された
- メモリーが 1024 W (約 4 KB)。うち 300 W がシステムに食われる。
しかし、複雑な問題(定理証明他)を解いた研究者も多い。
- 開発者の村田健郎さんは後年日立の大型計算機開発責任者となるが、
メモリー不足を訴えるユーザに
「足りないのはメモリーでなく、他の何かではあるまいか?」
- 1960: IBM 650, UNIVAC Solid-State (USSC)
- 東芝(学生実習)でUNIVAC(半導体)に触る
- IBM650(真空管)は見学で外から眺めただけ
- 平成16年になって、当時の東芝の USSC 管理者から伺ったが、
USSC のアセンブラは「すぐできる」との触れ込みで、ついに最後までできなかったそうだ。
アセンブリ言語を使ってプログラムを書いたと思っていたが、機械語で書いた筈である
-
プログラム内蔵計算機(第2世代)
- 1962: OKITAC 5090
- 1963: HIPAC 103
- 1966: HITAC 5020
- 東大への納入合戦で日立が勝った機種(transistor)
- 入社当時から中研に設置されていたが、これは OS や上位機 5020E 開発用で、
一般所員は HIPAC 103 を使うことになっていた。
所員も使えるようになったのがこの時期。
- メモリアドレスが 16 ビットなら、古今最高のアーキテクチャと思う。
故池田敏雄氏(富士通)を主人公とするTVドラマで、ナレーションが
「日立の勝因はIBM互換だから」と言っていたのには驚愕
- 1971: HITAC H-10
- ミニコンピュータ
1万ドルコンピュータ(360万円)を目指したが、
定価 495万円。 FORTRAN が7種類!もあった。でも使ったのはアセンブラのみ
-
プログラム内蔵計算機(第3世代)
- 1973: HITAC H-8450
- 8000 シリーズは RCA との技術提携だが、この機種は独自開発
- 1976-1988: HITAC M180、M200H、M280H、M680、S810
- IBM 互換機。後にスパイ事件につながる機種(S810 はスパイ事件に無関係)
- 1974: YHP3100
- 通産省の大型プロジェクト「パターン情報処理」を受託し、その予算で購入
日立では大プロ予算で自社製品を買うのは困難な事情があった。
つぅー訳で HP (当時は YHP=横河ヒューレットパッカード) から購入したら、
日立に売り込んだのは始めてと喜ばれた
- 1978?: DEC PDP 11/60
- 人工知能研究用に購入。私はあまり使わなかった。
- DEC の営業が、日立に売り込んだのは営業マンの勲章だと喜んでいた
- DEC が COMPAQ に買収される日が来るなんて
-
プログラム内蔵計算機(第4世代?)
- 1989: Convex 1
- 情報工学科に着任。UNIX マシンに触り、カルチャーショック
- NEC 9801UV を端末として接続
- 1989: Hitachi 2050/E
- 日立からの借用品だが、日本語 (のマニュアルのついた) LISP は学生に好評だった
- 1989: Macintosh IIx
- ウィンドウシステムに初めて触る。1996年御臨終。長い間ご苦労さん
- CD-ROM を使って、マルチメディアの検討を始めたのもこの頃
- 1996年には、二代目を購入
- 学会論文審査の整理として指定されたデータベースソフトを使うため。
コンピュータ選定がハードではなく、ソフトで決まる時代になった
- 2000年に、三代目 (iMac)
- 2002年に、四代目 (iBook)
- 1990: SparcStation 1
- 当研究室での Sparc 1号機。1995年御臨終
- その後 Sparc と互換機は沢山使っている
- 1995: Hitachi 3050/RX
- 1998年まで、学科内最高速を誇っていたんだけど。CPU の進歩は早いね
- 1998: Windows Machine
- ついに使わざるを得なくなった。もっぱら Office 文書作成用
- 2000: LINUX
- Windows との dual boot
- 切り替えるのが面倒だから、LINUX用、Office用、iBook の3台を机上に並べ、
用途によってマシンを使い分け
- 2003: Windows XP
- 九産大に赴任したら、研究室に Windows マシンが8台!もある
- 授業で使用するために PowerPoint はほぼ必須である
- 書式の定められた1〜2ページの文書は Word で作るが、
長い文書は指定のない限り TeX にしている
- 2003: Windows Vista
- Vista が発売されたが評判があまりよくないし、
Windows XP の保守期間が 2014年まで延長されたので、特に変える必要は感じない
←[中野の計算機]
←[中野の目次]
[情報科学部の目次]
mail address: |
 |
← お手数ですが打ち込んで下さい |
First Written Before 1997
Transplanted to KSU Before Augsut 26, 2003
Reorganized August 9, 2004
Last Update March 21, 2007
© Yasuaki Nakano 1997-2007