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文書作成プログラム

TROFF

日立中研に入った頃は、 コンピュータで文書を作ることはなかった。学会発表は手書きするのが当たり前で、 字の上手な女性社員に依頼して書いて貰う程度だった。 和文タイプ印刷の外注もやったが、費用にうるさい上司には叱られた。 若い頃は英文で論文を書くことはほとんどなかったが、 たまに書くときは庶務係の英文タイプライタを借りて叩いていた。

そのうちに、コンピュータで文書を作るようになり、文書作成プログラムとして、 英文では "TROFF"、和文では "DEDIT" を使った。昭和50年代末 (1985年頃) だったと思う。 ("DEDIT" の名称は記憶不確か。) "TROFF" で作ったページイメージを大型機につないだ IBM タイプライタで印刷した。 和文の論文も清書プログラムでページイメージを作って、レーザープリンタで印刷した。 "DEDIT" の制御コマンドは "TROFF" に準拠していたが、コマンドも漢字で表すところが違う。

ワードプロセッサ

そのうちに、日本語文書はワーパル (日立のワードプロセッサ) を使うようになった。 会社でも、1980年代後半には特許明細書はワーパルで書くのが標準だった。

日立中研を退職したとき (1989年)、記念品としてワーパルを貰った。 信州大学に転任してから、自宅ではもっぱらこれを使ったが、 大学の端末 NEC 9801 (というか、MS-DOS マシン全部) とファイル互換性がないのは困った。

平成10年 (1998年) 頃と思うが、ワードプロセッサには未来がないと感じ、 大学のコンピュータにファイルを移動しようと考えた。 パーソナルコンピュータ (MS-DOS) にワーパルのファイルがコピーできれば良い。 ワーパルのファイルを日立の B-16 (MS-DOS) で読むプログラムが売られていると聞き、 NEC 9801 (MS-DOS マシン) で動くだろうと思って購入を計画したが、 そのプログラムは NEC 9801 では動かないのだった。

( 詳しくは忘れたが、ファイルフォーマットのどこかの1ビットが違っていて、 MS-DOS マシンのファイルを B-16 で読むことはできるが、その逆はできない。 他社の MS-DOS から B-16 に乗り換えさせることを狙った戦略であれば愚かだと思うが、 そんなこともないだろう。 )

日立本体でワーパルのファイルを MS-DOS マシンを読むプログラムを提供していないか調べた。 すると、MS-DOS マシンを使わなくても新型の日立のワードプロセッサでは、 出力ファイルを MS-DOS 形式にするオプションがあるのでそれを使えば良い、 と回答があった。

新型を今さら買う気もしないので借用することにし、 1ヶ月かけてファイルを MS-DOS 形式に変換した。 ファイルは 1,000個以上あったが、一括変換はできないので、 一個一個ファイルを読んでは新しいフロッピーに MS-DOS 形式に出力することを繰り返した。 300個まで変換して重要性の低いものは捨てた。

詳しくは知らないが、ワーパルの OS は CP86 だったらしい。 しかし CP86 の上にワーパルのシステムが乗っていて、 OS の機能を直接ユーザが使うことはできなかったのである。

一太郎と "Nemacs"

大学時代の初期には、日本語文書は NEC 9801 の一太郎で作った。 日立時代にワードプロセッサで作った文書は上記の変換が可能になるまでは利用できず、 変換が可能になった頃は陳腐化して使えなかった。

英文論文の製作は暫くは "TROFF" を使った。 学科のコンピュータが UNIX ミニスーパーコンピュータ CONVEX (UNIX) だったので、 エディタは "vi" であるが、使いにくいので "Nemacs" を独習した。 "Nemacs" は本来は使用環境であるが、もっぱら日本語文書エディタとして使った。 しかし、NEC 9801 は 80字×24行の dumb 端末としてしか使えないので、 "Nemacs" の画面分割は非常に役立った。

TeX

信州大学に転任した 1989年にはすでに TeX が使われ始めていたが、 慣れていないので文書がどういう姿になるか判らず、大きな文書は作らなかった。 研究室にワークステーションがなく、X 環境もないので、印刷するまで判らないのである。 完成版を作るまでにかなり紙をムダにした。

そのうちに研究室で SparcStation を購入することができ、 自力で TeX をインストールすることに成功した。 優秀な学生が X 環境をインストールしてくれて "xdvi" で文書イメージを確認できるようになり、 紙のムダもなくなった。簡単な文書のは TeX" 作成するようになってきた。

科研費申請

平成元年 (1989年) に大学に転任して、研究費はほとんどないから科学研究費を取れ、と言われた。 実際には、申請する教員はあまりいなかったのだが、真に受けて申請書を書いた。

赴任当初は日立のワードプロセッサで作った。 用紙は B4 だったが、用紙一杯一杯まで記入領域があり、日立のワードプロセッサでは印刷できない。 さらに、用紙には既に印刷された部分があり、指定された空白部分に印刷する必要があるが、 ワードプロセッサで印刷位置を合わせるのは至難の業である。 打ち損じをすると、貴重な申請用紙 (文部省の外郭団体から購入する) をムダにしてしまう。

原紙を申請用紙で作れば、後はコピーでも良いので、 ワードプロセッサで項目ごとに印刷し、切り抜いて貼り付けた。 切り貼りなら、項目ごとに大きさを合わせることができる。

初年度は落選したが、2年度目はこの方法で採択して戴いた。

科研費マクロ

私が最初に「科研費マクロ」を知ったのは平成4年 (1992年) だったと思う。 平成5年度 (1993年度) の申請を準備する頃だった。 ネットニュースで「科研費申請に重要ですので、大ファイルの投稿を許して下さい」 という書き出しでマクロが投稿されたと思う。

科研費マクロは TeX マクロの一つである。TeX テンプレートと言う方が適切かも知れない。

文書を作るには、Word や一太郎のような WYSIWYG (What you see is what you get) 方式、 つまりディスプレイ上で見た姿の文書がそのまま印刷イメージとなるエディタがある。 確かに便利ではあるが、1回指定すれば済む情報を何回も打たないといけないという欠点がある。

従来の "TROFF" は WYSIWYG ではなく、レイアウト情報をコマンドで指定する方式である。 複雑な処理が可能であるが、覚えるのが大変である。 何より、文書ができるまでどんな姿になるのかがわからない点が欠点である。 TeX はこちらに属し、何でもできるが、素人には使用が困難である。

TeX マクロは中間的な存在である。もちろん WYSIWYG ではないから文書の姿は判らない。 しかし、レイアウトの細かい点は全てマクロに任せ、個別の情報だけを入力すれば良い。 科研費申請書のように書式が決まっていて、しかし独自の表現を要求される文書では、 科研費マクロは非常に便利である。使ったことのない人には理解して貰えないかも知れない。

科研費マクロにはサンプルが付いている。その中でいろいろな変数が定義されている。 変数定義では、たとえば「¥研究代表者氏名=湯川秀樹」と定義されている。 それを「¥研究代表者氏名=中野康明」と変更するだけで、 申請書全体で「研究代表者」の出現する箇所が全部「中野康明」になってくれるのである。 申請書には「研究代表者」を書くべきページがいくつかあり、 書かなくて良いページもある。WYSIWYG のエディタでは一つ一つ入力する必要があり、 入力忘れがあるとそれだけで申請は門前払いである。「研究代表者」に限らず、 研究組織や研究部署その他書き忘れが起きやすい箇所は無数にあるので、 変数で1回定義すれば良いのは非常に便利だった。

下書きモードと「鶯」

さらに、科研費マクロには「下書きモード」がある。 科研費申請用紙には書式が印刷してあって、 各項目を指定された領域に打ち込むのが至難の技であることは上に述べた。 「下書きモード」では書式そのものも印刷してくれるので、最終の姿が見やすい。 「本番モード」を指定すると、書式の印刷は抑圧されるので、 申請用紙に印刷すると申請用の調書ができる。

しかし、「本番モード」で印刷したとき用紙と印刷領域が微妙にずれることがある。 もし、「下書きモード」で印刷した調書をそのまま提出できれば非常に楽である。 大学本部に質問したら、「正規の科研費申請用紙と一字一句同じであれば使って良い」 という返事だった。科研費マクロ開発チームは細心の注意を払っているが、 それでも漢字の違いがときどきある。

初め理解できなかったのが 「鶯と鴬」のスイッチである。 事情はこういうことらしい。 この二つの文字は文字コードとフォントの対応がプリンタやディスプレイによって違う。 ディスプレイで「鶯」に見えても、他のプリンタで「鶯」に見えても、 印刷される形が「鴬」になることもある。プリンタ依存なので、印刷してみないとわからない。 正規の申請用紙に旧字体の「鶯」があるが、 これを「鴬」と印刷したのでは書式不備として却下されてしまうかも知れない。 科研費マクロ開発チームは、そこまで注意を払ったのである。 どこに「鶯」が出現するのか発見するのに時間がかかった。

MicroSoft Word

平成15年、九州産業大学に転任して、使用する計算機が Windows だったので、 最初は TeX が使えず、仕方なく Word を使った。 Word もテンプレートを使うと高度な印刷ができるらしいが、 複雑な文書は誰かの作った雛形を利用することにし、 自分が作るのは単純な文書だけにしている。

TeX 再訪

九州産業大学に転任してからは Windows 環境になったので TeX が使えなかった。 しかし、平成16年に「情報科学会誌 (紀要に相当)」の編集を担当することになり、 会誌の形式が基本的には TeX だったので使用する羽目に追い込まれた。

その少し前、ある教員が W32TeX 一式の入った CD-ROM を回覧して下さったので、 とりあえずコピーしておいたのを思い出した。 インストールしようと思って方法を尋ねたら、昔のことで忘れてしまった、とつれないお返事。

慌てていろいろ調べ、やっとコンパイルできるようになったのが校了予定の2ヶ月前だった。 いろいろ問題はあったが、ともかく使えるようになった。 しかし、2年間の空白で昔のソースがそのまま通らず難儀している。

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First Written January 31, 2005
Last Update August 12, 2006

© Yasuaki Nakano 2005-2006